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築城37年

万里長城祭

手づくり観光のシンボル「万里長城」の築城開始時から続く、町民憩いのイベント。
例年5月に開催され、町民が分け隔てなく盛り上がる恒例の焼肉大会や抽選会、万里長城にちなんだ企画などが開催されています。
特設ステージにて、大道芸や吹奏楽演奏演奏などもお楽しみいただけます。

万里長城の歴史イメージ背景

町民の手づくりでスタートしました!

万里長城の歴史

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下川町には、中国領事館からもお墨付きを頂いた万里長城があります。その長さは全長2kmで、本家中国の万里長城(2万km)のたった1万分の1です。しかし、実はこの万里長城は、「町民の和のシンボル」でもあるのです。

2000年に完成を迎えた万里長城は、1986年から15年の年月をかけて、人の手によって一つずつ積み上げられてきました。使われている石は、なんと15万個以上。名前などを刻めるサービスも行っており(現在は休止中)、町外、道外、海外の皆さんがその足跡を残した石は、12万5000個以上となっています。著名人のメッセージも残されており、探して歩くのも面白いかもしれません。「昔、自分が刻んだ石を探しに来た」とおっしゃる方も絶えません。

きっかけとなったのは、当時の役場職員が出向いた中国旅行。万里長城の見学を経て、住民主体による手づくり石積みのアイデアを得ました。ちょうどその頃、町内の農地・草地造成の際、土から掘り出された多くの石が未利用のままだったこともあり、それらを活用して「ミニ万里長城」の築城を提案したことがはじまりです。

本家中国「万里長城」は、外部からの進入を防ぐために造られましたが、下川の万里長城は、皆さんにお越しいただき、楽しんでいただくために築城された、町民手づくりの観光スポットなのです。

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1986

「ミニ万里長城」の石積みがスタートしました。完成目標は、下川町が開拓100年を迎える2000年に総距離2000mとし、機械や専門業者に頼らず町民手づくりの「手づくり観光日本一」を目指すことになりました。
同年8月からスタートした石積みは、「もっこ」と呼ばれる土や石を運搬するための用具で行い、運んだ石をコンクリートで固める作業でした。初年度から、毎年5月~10月の第3日曜日を「町民石積みの日」と定めました。
石積みを開始すると、参加した皆さんが、記念にと、自ら運んだ石に名前や日付、メッセージなどを書く姿が見られ始めました。そこで、町では、石積みに参加してくださった皆さんへの記念として、運んだ石に名前やメッセージを彫り込むサービスを開始しました(現在は休止中です)。

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1989年頃

昭和から平成に変わる頃には、メディア報道や口コミの影響も後押しし、石積みの参加者は、町外からの方も多くなり、道内外からの団体やツアーの皆さんが大型バスで下川町を訪れるようになりました。最初は、有り余るほどあった石も、不足気味となり、慌てて石を探したという苦労話もあります。

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1990

当時の町長が札幌市に駐在する中国領事館へ「ミニ万里長城」築城の挨拶に伺いました。そこで、領事館より、「万里長城」名称使用の承認を頂き、晴れて「ミニ万里長城」から「万里長城」と呼ぶことになりました。

そして1994年に正面玄関ともいえる「メモリアルゲート」が完成しました。

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1996

目標距離の半分である1000mに到達し、完成への期待が徐々に膨らんでいきました。この年には、「24時間テレビ~愛は地球を救う~」などで映像を通して全国に放送され、知名度もさらに高まっていきました。

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2000

10月に開催した「記念セレモニー」には当時の札幌中国領事館、総領事 孫 平氏も来町され、祝辞を頂きました。祝辞の中に「衆志成城(しゅうしせいじょう)」というお言葉がありました。中国のことわざで「衆の心を合わせれば城も築き上げられる」、わかりやすく言えば、「町民が心を合わせ頑張れば、城のような大きなことも成し遂げられる」という意味です。この「衆志成城」は、メモリアルゲートの前に石碑として刻み込まれています。